昭和48年(1973年) 東西の山林(現在の梨風東緑地及び西緑地)が保存樹林に指定された。

梨風苑の歩み

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昭和40年(1965年)頃から市川市真間の叶崎不動産が土地を造成し
「梨風苑」と云う名称で販売を開始した。
その後数次に亘って造成が続けられ最終的には第6次までの販売が行われた。

保存樹林: 都市の健全な環境の維持及び向上に寄与することを目的として、
     保存樹または保存樹林に指定する。
昭和53年(1978年) 梨風公園内に集会場が設置され、以後自治会活動・梨風サロン・
こども会等に利用されている。
昭和53年(1978年)10月 JR武蔵野線市川大野駅が新八柱駅・船橋法典駅と共に開業
総武線西船橋駅へのルートが開通し、梨風苑からの通勤・通学の利便性が大いに増した。

昭和46年(1971年)6月 梨風苑自治会結成
居住者の増加から自治会の必要性が高まり221世帯で結成された(於:迎米公民館)

風致地区とは都市内外の自然美を維持保存するために創設された制度で、指定された地区においては、
建設物の建築や樹木の伐採などに一定の制限が加えられる。  
市川市の条例へ



昭和56年(1981年) 梨風苑全域約7ヘクタールが市川市から風致地区に指定され居住環境が
守られることになった。

昭和42年(1967年)から居住が始まり、造成地の拡大も伴って居住者が増えていった。

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